稲富 祐秀(いなどめ すけひで)は、稲富氏の当主であり、戦国時代の武将。丹後一色氏の家臣。丹後国弓木城主。孫に稲富祐直。
祐秀は当時、鉄砲名人とまで呼ばれた佐々木義国から鉄砲術を学び、天文23年(1554年)には、義国から鉄砲術の印可を受けた。後に祐秀は鉄砲術のおいて独自の工夫を重ねることにより、後世砲術の主流となる「稲富流砲術」の基礎の築き、嫡男の直秀、孫の直家と伝えていった。