Wikipedia:中立的な観点
この文書はウィキペディア日本語版の方針です。多くの利用者に支持されており、すべての利用者が従うべきだと考えられています。変更はコミュニティーの合意を反映している必要があります。 |
この方針の要旨: ウィキペディアのすべての記事は「中立的な観点」を尊重する必要があります。これは、主題に関連する観点を公平に提示し、その重要度に応じた立場を与えることで成り立ちます。 |
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中立的な観点 (Neutral Point Of View, NPOV) は、ウィキペディアの根本的な方針の一つです。この方針のため、ウィキペディア上のすべての百科事典的内容は中立的な観点に沿って書き記されなければなりません。これは、主題に関して信頼できる情報源によって公表されているすべての重要な観点を各観点の比重に応じて公平に描写し、できる限り編集上の偏向がないようにしなければならないことを意味します。
中立的な観点はウィキペディアの基本原則の一つであり、他のウィキメディア・プロジェクトの基本原理の一つでもあります。また、「検証可能性」および「独自研究は載せない」とともにウィキペディアの内容に関する三大方針としても位置づけられています。ウィキペディアでは、これらの方針を合わせて、記事に書き記すことが許される情報の種類と品質を決定しています。これらの方針は相互補完的に調和して機能するため、他の二つと切り離して解釈されるべきではありません。編集者はこれら三つの方針すべてに精通した上で編集を行うことが強く奨励されます。
この文書で説明している中立的な観点の方針は「交渉の余地のないもの」とされ、その基盤となる原理は、他の方針やガイドラインによって、または利用者同士の合意によって覆すことはできません。
中立的な観点とは
ウィキペディアのコミュニティにおいて理解される「中立」を成し遂げようとする姿勢とは、さまざまな信頼できる情報源を注意深く、批判的に分析し、それらに含まれる情報を公平に、各観点の比重に応じて、可能な限り編集上の偏向なく読者に伝えることを意味します。ウィキペディアが目指すところは、論争を記述することであり、論争に加わることではありません。
執筆者は当然のことながら独自の視点を持っているものですが、完全な情報を提供するよう誠実に努力するべきであり、ある特定の観点を他方に優先して推進するようなことはしてはいけません。したがって、中立的な観点とは、ある種の観点を除外することを意味するのではなく、十分妥当な重みを持つすべての検証可能な観点を含んでいるものです。
百科事典にふさわしい中立の水準を達成するために下記の原則を遵守してください。
- 意見を事実として記さない
- 通常、記事はその記述対象について表された重要な意見を情報として含みます。しかし、その意見をウィキペディアの見解として述べてはいけません。それよりはむしろ、その意見が特定の情報源に帰することを文中に記すか、あるいは十分な根拠を示せる場合には、広く認められている意見として記述されるべきです。たとえば、記事中で「大量虐殺は悪行である」と記述してはいけませんが、「某氏は、大量虐殺は人間の悪の縮図であると記している」と記述することはできます。
- 深刻な論争がある主張を事実として記さない
- ある問題について異なる信頼できる情報源の間で主張に衝突が生じている場合には、それらの主張については事実ではなく意見として扱い、その主張自体を文中で直接記述することはしないでください。
- 事実を意見として記さない
- 信頼できる情報源によって反論や論争の余地のないものとされた事実の主張であれば、普通はウィキペディアの見解として率直に記述されなければなりません。その言説が異議なき説であることに特に反論が無いのであれば、その主張を誰かに帰属させる必要はありません(それでも、情報源への出典リンクを付けておくことは検証可能性に役立ちます)。また、その説について論争が存在するかのような表現で記述すべきではありません。
- 判断を下さない言葉遣いを好んで選択する
- 明瞭さとのバランスをとらなければならないときもありますが、中立的な観点においては、主題(あるいは信頼できる情報源が主題について何と述べているか)に対して同情も非難も示しません。人々の意見や相反する所見については、公平無私の論調で表現してください。社説風に書かないでください。ある特定の観点に編集が偏向していることが見て取れるようならば、その記事は修正される必要があります。
- 対立する観点との相対的な勢力差を示す
- 主題に関して異なる観点を報告する際には、それらの観点に対する相対的な支持度が適切に反映されるように記述してください。対等であるとの誤った印象を与えたり、特定の観点に不当な重みを与えたりするような記述はしないでください。たとえば、「地球の形状は、フェルディナンド・マゼランの調査では球体だとされたが、ジョン・ハムデンの説によれば湾曲した平面体だとされる」という記述では、各観点を1人ずつの主張として記すことによって、圧倒的な多数派の観点とごく少数の人々の観点をあたかも対等であるかのように伝えてしまっています。
観点の中立とは何ではないか
この方針における「中立」や「中立的」という用語が一般とはやや異なった限定的な意味で使われていることには注意してください。得てして誤解がありますが、中立的な観点の方針とは以下のようなものではありません。
- 中立的な観点とは、中間的な観点のことではありません。
- 中立的な観点の方針とは、複数の意見や見解が対立する場合にはそれらの中間に位置する意見(間を取った意見)を正しいものとして記す、という意味ではありません。もし、そのような中間的な説が信頼できる情報源によって本当に論争の余地なく正しいと位置づけられている場合は事実として率直に記述することはありますが、ウィキペディアの編集者が間を取り持つような意見を生み出したり優遇したりすることはありません。
- 中立的な観点とは、特定の観点のことではありません。
- 中立的な観点は、提示された各観点のいずれでもありません。中立的な観点の方針とは、観点のどれかを「中立的な観点」として採用する行為ではありません。むしろ中立的な観点の本質は、各々の観点と距離を保ちながら、各観点の位置づけを冷静に定めて記事中に提示することにあります。
- 中立的な観点とは、全ての観点を平等に扱うことではありません。
- あらゆる関連する観点を、同じような支持度や重要度があるようには扱いません。中立的な観点は、ウィキペディアの編集者が観点について独自の価値判断を下すことを禁じています。これは、一方の観点が他方の観点よりも優れていると主張すること(つまり、彼我の見方について価値判断をすること)のみならず、2つの観点ないし全ての観点が平等であると主張する(相対主義でもって、先ほどとは別の価値判断をしようとする)ことをも禁じていることを意味します。説や意見を説明する表現や文量などには適当な重みづけがなされ、差がつけられます。重みづけの結果、記事中に書くこと自体が妥当でないこともありえます。
- 中立的な観点とは、多数派の観点のことではありません。
- 中立的な観点にしたがって、支持度や重要度に応じて多数派の観点についての説明を記事の主要部とすることはありえますが、ウィキペディアが多数派の観点それ自体に立つことはありません。多数派の観点であっても、客観的かつ距離を保った論調で描写されなければならず、真実であるとか優れた見方であるとして誇大に描写してはいけません。
中立を達成するために
原則として、単に偏向しているように思われるなどという理由で、出典を明記した情報を除去しないでください。その代わりに、その一文や一節をより中立的な言い回しに書き改められないか、試してみてください。偏った情報は大抵、他の情報源を引用した資料を持ち合わせて執筆することで釣り合いがとれ、より中立的で幅広い視野を提供することができるため、そのような問題は正常な編集工程を通して可能であれば解決すべきです。記述を除去するのは、それが読者に誤った情報を伝えたり誤解を招いたりするおそれがあり、なおかつその部分を書き換える方法では対応できないと信じるに足る妥当な理由がある場合のみにしてください。
この節では、よくある問題について具体的な手引きを示します。
適当な重み付け
中立であるためには、標準名前空間にある各記事またはその他のページは、信頼できる情報源で公表されているすべての重要な観点を、公表された信頼できる情報源における各観点の支持度に応じて公平に記述することが要求されます[注 1]。妥当な重み付けをすることと不当な重み付けをしないようにすることは、少数意見や少数派の観点について、より広く主張されていたり支持されていたりするような意見や観点と同じぐらい多量または詳細な説明をするべきではないことを意味します。原則として、ごく少数の人々の意見は記事に一切含めるべきではありません。場合によっては、その特定の意見について説明している記事を「関連項目」に記載するような例は許容されます。たとえば、地球に関する記事では、ごく少数派の意見であることが明白な地球平面説に対する現代の支持意見に直接言及しないでください。そのようにしてしまっては「不当な重み付け」をすることになりかねません。
不当な重み付けは、記述の深さ、文章の量、配置の突出、文の同列化、画像の使用など、これらに限らず、いくつもの方法で行われる可能性があります。少数派の観点に特に関連する記事では、そのような観点は、より多くの注目を浴び、多くの紙面を割いてもらえることになるかもしれません。しかし、これらのページでも、密接に関連する多数派の観点が存在する場合には可能な限り、多数派の観点にも適切に言及すべきであり、くれぐれも少数意見の観点のみから内容を説明しないでください。具体的には、本文のどの部分で少数意見を説明しているのかを常にはっきりさせておかなければいけません。さらに、多数派の意見を十分に詳しく説明した上で少数意見との相違点を読者が理解できるようにし、少数意見の観点に関する論争をはっきりと明らかにして説明するべきです。どの程度詳しく記述することが要求されるかは話題によります。たとえば、地球平面説のような(現代では擁護する者がほとんど、あるいは全く存在しない)歴史的見解に関する記事では、現代の立場を簡潔に述べ、続いて、現在では信用を失った考えの歴史を中立的に記述し、その観念の歴史を極めて詳細に論じることができます。その他の少数意見については、読者を誤解させないために、多数派の意見を(少数意見よりも)はるかに広範に説明することが必要とされる場合があります。
ウィキペディアで論争を説明する際には、とても少数の人々の主張する意見が、多数派の意見とあたかも同じくらい重要であるかのような書き方をするべきではありません。ごく少数の人々が主張する意見は、そのような意見を扱うのに特化した記事(地球平面説など)以外には記載すべきではありません。無視しがたい少数派の意見に不当な重み付けをしたり、ごく少数の人々の意見を含めたりすれば、論争の有様について読者を誤った方向に導きかねません。ウィキペディアの狙いは、競合する意見を、その話題に関して信頼できる情報源における表現に応じて提示することです。これは、記事本文のみならず、画像、ウィキリンク、外部リンク、カテゴリ、およびその他のすべての情報にも同様に適用されます。
以下はジミー・ウェールズ[注 2]が2003年9月にWikiEN-lのメーリングリストに投稿した内容 からの引用です。
- もしも観点が多数派の観点であるならば、一般に認められている参考文献を参照してその観点が多数派だと証明することは容易なはずです。
- もしも観点が無視しがたい少数派が主張する観点であるならば、著名な擁護者の名前を挙げることは容易なはずです。
- もしも観点が極めて少数の人々が主張する観点であるならば、それが本当であるか証明可能かどうかにかかわらず、ウィキペディアはそれを記載する場所としてはふさわしくないです(ただし、事によっては一部の付随する記事を除く)。
適当な重み付けを決定する際には、信頼できる情報源における観点の普及度を考慮し、ウィキペディアの編集者や一般の人々の間での普及度は考慮に入れないようにすることを心に留めてください。
もしも現在ほとんど、あるいは全く信じられていない学説をあなたが証明できたとしても、ウィキペディアはそのような証明を発表する場ではありません。信頼できる情報源で発表され、論じられてさえいれば、その説を適切に記事に含めることができます。「独自研究は載せない」および「検証可能性」も参照してください。
観点の釣り合いをとる
記事では、その主題に関する少数派の観点に不当な重み付けをしてはならず、各観点は、その主題に関する信頼できる公表された資料の本文での扱いに応じた重みをもって論じるように努めてください。たとえば、記述対象についての単発の出来事、批判、報道は、検証可能で偏りがないかもしれませんが、それでもなお、記事の主題に対する全般的な重要性とは不釣り合いである可能性があります。このことは、特にニュースで取り上げられることがある最近の出来事に関連した懸念事項です。
「平等な妥当性」を与えると偽の均衡を作り出しかねない
どのような話題に関しても、すべての重要な観点を説明することは大切ですが、ウィキペディアの方針は、すべての少数派の見解や並外れた主張[注 3]をまるで平等な妥当性があるかのように、一般に認められている主流派の学問的成果と並べて記載する必要があると言明したり暗示したりするものではありません。世界には、世間一般に信じられているものからほとんど知られていないものまで、さまざまな信念を持つ人々がいます。例として、地球は平面体であるという説、テンプル騎士団は聖杯を手に入れたという説、アポロ月面着陸は捏造であったという説などがあります。疑似科学、空想的歴史、陰謀論、または、もっともらしいけれども現在認められていない言説は、認められている学術的成果との比較を通して正当化されることがあってはなりません。ウィキペディアは、これらの論点に関して、百科事典執筆者として賛成・反対いずれの立場も取りません。それを含めるとその説を不当に正当化することになる場合には、単にその情報を記載しません。あるいは、確立した学問的成果および広い世界の考えと関連づけた適切な文脈の中で、これらの考えを含めて記載します。
良質な研究
利用可能な最も評判のよい権威ある良質な情報源に基づく、確かで偏向のない研究は、中立的な観点を巡る争いを防ぐのに役立ちます。図書館で評判のよい書籍や学術論文を探してみたり、オンラインで最も信用されている情報源を探してください。もし高品質な情報源を見つけるのに手助けが必要であれば、作業中の記事のノートページで他の編集者に尋ねたり、井戸端や関連する分野のウィキプロジェクトで質問したりしてください。
均衡
中立を保つには、観点ごとの支持度に応じて、それらに重み付けをします。しかしながら、評判のよい情報源同士が互いに矛盾していたり、観点の支持度が比較的等しいときには、両方の観点を記述し、均衡をとってください。これは、公平無私の観点から意見の相違を説明している二次資料や三次資料を活用しながら、対立する意見を明確に描写することも伴います。
公平な論調
ウィキペディアは論争を“記述”するところです。論争に“参戦”はしません。 論争を中立的に描写するには、一貫して公平な論調で観点を記述することが求められます。そうでなければ、たとえ密接に関連する観点をすべて記述したとしても、その記事は熱心な支持者らによる実況解説に終わってしまいます。 話題が私見ではなく事実に基づいて記載されている場合でも、事実の取捨選択の仕方、提示の仕方、整理の仕方によっては、不適切な論調が記事に持ち込まれることがあります。中立的な記事は、記事に含まれるすべての立場を、公平で正確で釣り合いの取れた論調で記します。
ウィキペディアの記事の論調は公平であるべきで、特定の観点を支持したり排除したりしてはいけません。 論争が過熱しているときには、その論争に参加している者の主張を直接引用することは避け、代わりにその議論を公平な論調で要約して記載するように努めてください。
命名
事物や事象の命名に関しては、場合により、主題を表すために名称を選択して使用することによって、観点に偏りが見られるようになることがあります。一般的には中立的な用語を選択するのが望ましいですが、明瞭さとはバランスを取らなければなりません。信頼できる情報源(とりわけ日本語で書かれているもの)において広く使用されているために、読者によく認知されていそうな名称であれば、たとえ一部にその名称が偏っているとみなす者がいたとしても、それを使用して構いません。たとえば、広く使用されている名称である「国際連合[注 4]」「切り裂きジャック[注 5]」「スペインかぜ[注 6]」「タタールのくびき[注 7]」は、たとえそれが特定の立場から判断を下したように見えたとしても、これらの名称は当該の主題に対する言及の仕方としては正当なもののうちの一つとみなされます。主題を表すために用いる最もよい名称は、言及される文脈次第であることもあります。とりわけ当該の主題が中心的な論題である場合には、別名を挙げ、その用法に関する論争に触れるのが適切かもしれません。
この助言は特に記事名に適用されます。一般的な用法においては複数の用語が使われているかもしれませんが、記事名としては、記事名の付け方の指針に従って名称を一つだけ選択しなければなりません。別名を組み合わせて記事名とすることは推奨されません。たとえば、「アルミニウム(アルミナム)」「ジョージア(グルジア)」「日中戦争(支那事変)」とすべきではありません。代わりに、別名は記事本文内の然るべき箇所に目立つように示し、適切にリダイレクトを作成してください。
名称というよりも、記述的な語句を用いた記事名もあります。記述的な記事名とする場合も、話題に対する賛否を表す観点を示唆したり、問題の特定の側面に関する見解に記事の内容を閉じ込めたりすることのないよう、中立的な言い回しをするべきです(たとえば、「Xの批評」という記事名は「Xに関する社会的見解」に改名した方がよいかもしれません)。記事名が中立的であることは、複数の観点および責任ある記事の執筆を促進します。
審美的な意見の記述
芸術その他創作活動に関わる話題(たとえば、ミュージシャン、役者、本など)を扱うウィキペディアの記事では、大げさな表現が使用される傾向にあります。これは百科事典にそぐわない記述の仕方です。審美的な意見は多種多様かつ主観的なものであるため、「だれそれが世界で最も偉大なソプラノ歌手である」といったことについては、私たちは意見の一致をみることができないでしょう。しかし、あるアーティストや作品が、著名な専門家や一般の人々にどのように受け止められたかということを記すことは適切です。たとえば、シェイクスピアに関する記事では、彼が英語による著述家の中で最も偉大な人物の一人であると広く考えられていることを記すべきです。記事では、ある創作物に関して共通する解釈の概観を、できれば専門家が抱いている解釈を引用した出典とともに示すべきです。検証可能な周知の学究的な批評を記載することは、芸術作品について有用なコンテクストを提供することになります。
注意を要する用語
ウィキペディアには、掲載を禁止されている用語や表現はありませんが、偏向を招くおそれがあるために使用する際に注意が必要とされる表現があります。たとえば、「ジムはサンドウィッチの代金を払ったと言い張った」という文中で「言い張る」という表現を使用すると、彼の話が信憑性に欠けることを暗示させてしまいます。このように疑念を抱かせるような表現を使用すれば、一方の立場を他方に優越させて推進している記事だと思われてしまうことでしょう。そのような誘導的な言葉を使うのではなく、事実をもっと簡潔に記述するようにしてください。たとえば、「ジムはサンドウィッチの代金を払ったと言った」というように。おもねった表現、軽蔑的な表現、言葉を濁した表現、言い古された表現、特定の観点を是認するような表現は排除するように努力してください(ただし、注目に値する情報源からの引用文の一部にこれらの表現が含まれている場合はこの限りではありません)。
情報源が内包する偏向
信頼できる情報源に関する論争でよくみられる主張は、ある情報源が偏向しているので、別の情報源を優先すべきだというものです。偏向した情報源は記事に誤った観点を招く元になるため、使用するべきではないと主張する編集者もいます。しかしながら、そもそも偏向した情報源は、その他の点で根拠の薄い記事を作る元になるおそれはあるものの、ただ偏見に基づいているという点だけでは却下されません。中立的な観点は、複数の信頼できる情報源においてその意見が持つ重みに基づいて、諸情報源が内包する偏りのバランスをとることによって達成されるべきであり、特定の編集者の観点と観点が一致しない情報源を除外することによってなされるべきではありません。これは、偏向した情報源も使用されなければならないという意味ではありません。事によっては、情報を完全に除外したほうが記事の改善に資することもあるでしょう。