アップルは5月、より強力なiPadを発売した。この製品発表は、少なくともiPadシリーズにおいて、これまで長い間使われ続けてきた製品名の頭に付く「i」のプレフィックス(接頭辞)が今後も使われることを示している。とはいえ、スティーブ・ジョブズ時代の名残であり、いまとなっては関連性も薄くなっているこの小文字の痕跡は、いつまで使われ続けるのだろうか?
それほど長くは続かないだろうというのが、ブランディングの専門家やクリエイティブディレクターのケン・シーガルの考えだ。シーガルは26年前に「i」をアップル製品に初めて付けた人物である。
1998年、新しいコンピュータの名前として、アップル社内で考案された「MacMan」というひどい名前の代わりに、「iMac」にするようジョブズを説得したのはシーガルだ(「ManPhone」なる製品が登場しなかったことに対して、わたしたちはシーガルに感謝しなければならない)。
iMacは、ほかのコンピュータがオンライン接続に苦戦していた時代に、箱から出したらすぐにインターネットに接続して使える、革新的で魅力的なマシンとして誕生した。その後、現在提供が終了している「iBook」(90年代に「バービーの便座」と揶揄されていた、丸みを帯びた半透明なキャンディーのような色のノートPC)から、現在も利用されているアップルのデータストレージサービス「iCloud」に至るまで、「i」が付くアップル製品が多数登場したのだ。
シーガルは当時、広告代理店TBWA\CHIAT\DAYのコピーライターだった。彼はジョブズのために12年間も言葉を考える仕事をしたことを非常に誇りに思っている。現在74歳のシーガルはこれまでに、アップルの広告代理店として仕事をしたときの経験を元にした2冊のベストセラー作品を書いた。また、講演活動を通じて、アップルの製品名に付いている「i」との関係性から経済的な利益も得た。ちなみに、「i」はもともとデバイスがインターネットに対応していることを意味するだけのものだったという。
「当時の出来事をできるだけ活用してやろうと思っています」とシーガルはロサンゼルスの自宅から冗談めかして語った。「初代iMacの『i』を考え出したという理由で、わたしの言うことに興味をもってくれる人がいますから」。しかし、興味深いことに、シーガルは自分が生み出したブランディングを終わらせたいと考えている。彼はアップルが「i」を使い続けるべきではないと考えているのだ。
「『i』から離れるべきでしょう」とシーガルは言う。「もはや意味がありません。確かに(ジョブズは)これを軸に(アップルを)築きましたが、『i』は常にサブブランドであったことを忘れてはなりません。アップルが『i』をなくすなんて狂っていると言うマーケティングの専門家もいるかもしれません。いまでも史上最高峰のブランドの一部に使われているわけですから。しかし、『i』の文字そのものは独占できないですし、これまでにも「i」を使ったインターネット接続デバイスを提供する企業は多数現れました。これはイノベーションで知られるアップルにとって問題です」
iPhone Apple Phone
ニューヨークに拠点を置くブランドエージェンシー、Forge Coopのパートナーであるアシュウィン・クリシュナスワミも同意する。「いまやインターネット接続は普遍的なものです。オンライン対オフラインという概念もあまりないので、製品名の先頭に「i」を付ける意味はありません。使い古され、時代遅れになっています」
iPhoneという名前を廃止すべきなのか? アップルが「製品を何と呼ぼうと、人々はそれを買うでしょう」とクリシュナスワミは言う。「『iPhone』はもうない、新製品は『Apple Phone』だとアップルが紹介したのなら、人々はそれをApple Phoneと呼び始めるでしょう。アップルには非常に大きな流通ネットワークがあり、ブランドと製品の認知度も非常に高いので、iPhoneの『i』を廃止しても売り上げに悪影響はないということです」
グーグル、アマゾン、ネットフリックスと仕事をしたことがある、米国と英国に拠点を置くコミュニケーションエージェンシー、Battenhallのニューヨークオフィスを率いるアントン・ペローも、iPhoneの「i」を廃止してもアップルの売り上げに影響はないと考えている。ただし、主力デバイスを将来的に大幅に再設計するまで、名前の先頭に付く短いプレフィックスは廃止しないだろうとペローは予測する。
「iPhoneは非常に有名で、評判も非常に高いので、アップルが既存のものとはまったく異なる見た目のスマートフォンを展開するまで、名前が変更されるとは思いません。アップルはiPhoneのブランド価値を高めるために多くの時間と金を費やしてきた。だから、アップルがiPhoneよりも強力なブランド価値をもつ製品を展開するまで名前は変えないでしょう」
ただし、アップルがしばらく前から「i」からの脱却を進めていることは明らかだとペローは付け加える。
「『i』によるブランディングはスティーブ・ジョブズの時代を象徴するものです」とペローは言う。「Apple WatchやApple Vision Proといった新しい製品名は、同社の戦略的な進化を示しています。アップルは『i』の廃止を発表していませんが、これについて何か言ったわけではありません。ブランドは『i』ではなく、アップルなのです」
とはいえ、iPhoneやiPad以外にもある「i」が付く製品の数は、アップルがこの端的な名前にどれだけ依存してきたかを示している。iMacやiBook、iPod、iPod Mini、iPod Nano、iPod Shuffle、iPod Touch、iPad Mini、iPad Airをはじめ、ほかにもまだまだあるのだ。
Apple TVという顕著な例外が登場したのは2007年のことだ。アップルの動画配信プラットフォームは「iTV」、もしくは「i」が付く名称になると多くの人が考えていた。そうならなかった理由のひとつは、英国にはBBCに対抗するために1955年に設立された全国的な商業放送ネットワークである「Independent Television network」、略して「ITV」があるからかもしれない。ITVは番組や番組のフォーマットを世界中に販売しており、ITV Americaは「Love Island USA」や「Hell's Kitchen」「Queer Eye」などの番組を制作している。
また、動画配信サービスによる革命が急速に迫っているのを見て、BBCは2007年に独自の動画配信TVサービスである「iPlayer」を立ち上げ、その名前を同年1月に商標登録している。
少なくとも開発段階では、Apple Watchは「iWatch」と呼ばれていたようだ。これは、2014年にABCニュースのインタビューを受けたティム・クックの発言からもわかる。クックは発表したばかりのApple Watchを称賛したとき、手首に着用している端末のことを「iWatch」と何気なく呼んだのである。
iWatch Apple Watch
Appleが2014年9月の発表前に「iWatch」の名称を変えた理由は、小さなプレフィックスからの脱却ではなく、商標争いに関連している可能性が高い。米国の小さなスタートアップであるOMG Electronicsは、アップルがウェアラブル製品を発表する2年前にあたる2012年に、米国特許商標庁のTrademark Electronic Search System(商標検索システム、TESS)でiWatchの商標の保護を申請していたのだ。
OMG Electronicsの製品に「i」が付いている理由は何か。OMG Electronicsは、「究極のモバイルデバイス」としてクラウドファンディングプラットフォームのIndiegogoで製品を発表した。しかし、集まったのは目標金額90,000ドルのうちわずか1%で、支援者もたった7人だった。アップルがウェアラブル端末の特許を申請する前にも、TESSには同様の商標登録があり、そのいくつかは米国以外の市場で展開されるデバイスの名称に関するものだった。実際、アップルはiWatchの世界的な商標登録を試みたが失敗に終わっている。
Appleの命名規則は予測しやすく、それが利用されたのだ。ひと足早く商標登録した人たちに金を渡して買収することもできただろうが、長期的な計画が「i」を廃止することであれば、わざわざそうする必要もない。
アップルが「i」を廃止したとしても、それは同社にとって最も大きな変化とは言えないだろう。アップルは全社的な改革には慣れており、最高経営責任者(CEO)を務めるティム・クックがジョブズ時代を象徴するプレフィックスの廃止に頭を悩ませることはないだろうと、シーガルは指摘する。アップルにこの記事に対するコメントを求めたが、回答は得られなかった。
「アップルは過去に驚くほど大胆で無謀でリスクの高いことをしてきました」とシーガルは言う。「同社がプロセッサーを変更したり、OSを刷新したりするたびに、専門家たちは『本当にOSを再構築するのか? まったく新しいハードウェアプラットフォームに移行するなんて本気か?』と困惑していました。でも、アップルはそうしたことを成し遂げてきたのです」
いまのアップルは、ジョブズ時代のアップルよりもはるかに大きく、守るべき社員が増え、失敗したときに失うものが多くなっている。従って、よりリスク回避的になっているかもしれないとシーガルも認める。しかし、アップルは依然としてイノベーターとして知られたいとも考えており、ブランド価値の理由だけで古い製品名に固執するのは、あまりアップルらしくない。
「Think Different」は、アップルの伝説的なエミー賞を受賞した1997年の広告キャンペーンであり、シーガルが手掛けたものだ。アップル以前の時代に活躍した偉人たちに焦点を当てた60秒のテレビ広告のコピーをシーガルは共作した。アルバート・アインシュタイン、トーマス・エジソン、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア、マハトマ・ガンジー、アメリア・イアハートといった「反逆者、厄介者、トラブルメーカー」が登場し、「自分が世界を変えられると本気で信じる人たちこそが、本当に世界を変えることができる」というメッセージを伝えた。
この広告キャンペーンはブランド認知の向上を図るためだけのものだった。当時のアップルには売れる新製品はなく、ジョブズがよく語っていたように、破産まで残り90日という状態だった。ジョブズが1976年に共同創業した会社に戻ることを投資家は大きなリスクとみなしていたのだ。
MacMan iMac
「Think Different」の広告キャンペーンはアップルのブランド認知を向上させたが、会社の収益性が劇的に改善したのは、1998年に発売したiMacが大ヒットしたおかげである。「ボンダイブルー」の丸みを帯びた筐体にアップルの命運がかかっていた。ジョブズはそのことを外部の広告代理店であるTBWA\CHIAT\DAYにも正直に伝えている。
当初、「C1」というコードネームで呼ばれていた比較的低価格な消費者向けコンピューターは、インターネットに簡単に接続できるマシンとして市場に投入される予定だった。いまでこそ一般的なことだが、1990年代においてこれは珍しいコンセプトだった。このiMacは明るく、楽しく、使いやすい。そして大成功を収めた。さらには2011年に時価総額世界一の大手企業となる軌道にアップルを乗せたのだ(今年の初めにアップルは時価総額世界一の座をマイクロソフトに譲っている)。
だが、発売数週間前でも、初代iMacにはまだ正式な名前がなかった。アップルの社内マーケティングチームと製品チームは「Rocket Mac」、「EveryMac」、「Maxter」といった名前を検討しており、なかでも、「MacMan」が有力候補だった。これは、1979年からソニーが製造・販売している影響力のある大ヒットポータブルオーディオプレーヤー「ウォークマン」にちなんだものである。
「当時世界で最も有名で収益性の高い電子機器であるウォークマンと語呂が似ていたので、(ジョブズは)MacManを気に入っていました」とシーガルは言う。
「ジョブズは名前の類似性を気に留めていませんでした。マーケティングチームに対して、ソニーは非常に成功している消費者向け電子機器会社であり、アップルもいつかそのようになりたいと思っていると話し、製品名をMacManにすることで、少しでもその成功にあやかれるのならそれでいいと語っていました」。それはあまり「Think Different」な考えではなかった、とシーガルも同意する。
「振り返ってみると、(ジョブズが)ほかのブランドの成功にあやかろうと、別の製品名に似せた名前を付けることをいとわなかったことには驚くかもしれません」とシーガルは話す。「それは人々が思うジョブズの信念とは相反するものです。しかし当時、アップルは破産寸前であり、この会社を救う新製品に注目を集めるためにできることは何かと、ジョブズは頭をフル回転させて考えていました。彼は『MacMan』の名称を譲ろうとしませんでした。わたしたちはもっとよい名前を考えられると伝え、『ならそれを証明するように』とジョブズは言ったのです」
しかし、新製品の名前には条件があった。新しい名前はMacintoshのブランドであることがわかる必要がある。また、このマシンがインターネット利用のために設計されたものであることも示さなければならない。また、名前、パッケージ、広告も数日で準備する必要もある。
「さあ、素晴らしい名前を考えてきて」とジョブズはチームに言ったとシーガルは語る。シーガルのチームは5つの名前を考えた。シーガルのお気に入りは、言葉遊びから生まれた「iMac」だった。
「iMacはMacを象徴していて、iはインターネットを意味していました」とシーガルは思い出しながら話す。「iは同時に個人( individual)、豊かな想像力(imaginative)、そして自分という意味で『わたし(I)』を意味しています」。名称は端的で、さらには以前のモデルからの大きな飛躍を示すものでもあった。「当時、MacintoshをMacと短縮したアップルのコンピュータはひとつもありませんでした。どれもMacintoshだったのです」
ところが、ジョブズへの新しい名前を紹介した最初のプレゼンはうまくいかなかったとシーガルは語る。「5つのボードを用意し、それぞれのボードに後にiMacと名付けられる製品画像と考案した名前を載せました。とはいえ、わたしのお気に入りはiMacだったので、ほかの名称は引き立て役にすぎません」
しかし、ジョブズは気に入らず、チームに戻ってほかの名前を考えてくるように指示している。それでもシーガルは自分の考えを貫いた。次の会議では新しい名前を3つ紹介したが、お気に入りの名前も再び紹介したのである。
「(ジョブズが)初めて『iMac』という言葉を見たとき、全然気に入ってくれませんでした。2回目もひと目惚れではありませんでしたね。『今週は嫌うほどではないけれど、まだ好きにはなれない』とジョブズは言っていました」。それでも、この名前が定着した。
「アップルを救わなければならないコンピュータだということを、わたしたちは知っていました」とシーガルは話す。「それが製品を見る前に説明されていたことです。チームに製品が披露されたときは、本当に驚きました。非常に大胆な製品だったからです。コンピュータを見たわたしは、部屋にいたほかの人たちと同じように、これは売れないだろうと思いました。つまり、わたしはビジョナリーではないということです。わたしは単にビジョナリーのためによい言葉を考える人間です。(ジョブズと)ジョニー・アイブはiMacが世界を変えると考えていました。そしてそれは確かにアップルを救うことになったのです」
名前のプレゼンテーションをさらに進めるなかで、この「i」が、これから開発されるほかのアップルのハードウェアにも使用できることを強調したと、シーガルはいう。「わたしは『i』がほかの製品にも使用できる基本要素になると、説得しようとしました。とはいえ、当時ほかの消費者向け製品はありませんでしたし、携帯端末の概念もありませんでした」
ジョブズのいないいまのアップルは、当時とは非常に異なる会社であるとシーガルは考えている。「(ジョブズを)ひとりの人間で置き換えることはできません。ジョブズはアップルのすべての部分に彼のセンスを根付かせました。ほかとは違う考え方をするなど、会社のコアバリューを常に重要視する信念です。しかし、それが年々、少しずつなくなっています」とシーガルは言う。
「(ジョブズが)生きていたら、何をしたかまではわかりません。しかし、『i』を廃止することを恐れなかったでしょう」
(Originally published on wired.com, translated by Nozomi Okuma)
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