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    引き裂かれた家族 ウクライナ侵攻2年

     
     
    2024年03月09日 11時56分
    「ほら、パパに顔を見せてあげて」。母アリーナさん(中央)に促され、長女ヤーナさん(左)と次女ズラータちゃんがスマートフォンをのぞき込むと母国に残る父親の声が聞こえてきた。「元気だったかい?」=2024年1月、大阪市(共同)
     

     ロシアによる侵攻長期化で、故郷を追われた多くのウクライナ避難民が帰還の日を見通せないままでいる。開戦から間もない2022年春、断続的にミサイル攻撃が続く南部ザポロジエから日本への避難を決意した家族も例外ではない。大阪へ逃れた母親と長女は言葉が通じず、葛藤を抱えながら生活。父親は戦火のやまない母国で独り家族を待つ。侵攻前、新たな命の誕生で希望にあふれた親子を引き裂いた戦争とは―。家族一人一人から、2年分の思いを聞いた。(3部構成)

    (共同=深井洋平、遠藤弘太)

    *写真・記事の内容は、2024年2月までの取材を基にしています。

                  

    「つらくても、前に進む」

     

     「人々が寝ている朝や夜に攻撃が行われている間は、日本に残るしかない」。大阪市内の市営住宅で娘2人と避難生活を送る母アリーナ・ウェルモシュコさん(37)は、半ば諦め顔でこう語る。長引く戦禍に翻弄(ほんろう)され心労は重なるが、子どもの前では気丈に振る舞う。
     ロシア軍の侵攻開始から間もなく、南部ザポロジエ市で次女を出産。爆発音が鳴り響く中、病院の地下室で無事を祈り続けた。「子どもの命を守る。ただそれだけだった」。戦況が激化の一途をたどる中、姉の暮らす日本への避難を決断した。

    次女を抱っこして寝かしつける母アリーナさん=2024年1月、大阪市(共同)
    次女を抱っこして寝かしつける母アリーナさん=2024年1月、大阪市(共同)

     異国での生活は何もかもが戸惑いの連続だった。言葉も分からず、買い物もままならない。目にする景色は一変し、行き交う人の多さに圧倒された。仕事で忙しい姉以外、日本で頼れる人物はほとんどいない。
     以前は主に夫が子どもをしつけていたが、今は父親の役割も担う。長女が悪ふざけし、勉強に集中しないと厳しく接してしまう。電話で夫にやり場のない気持ちを吐き出すと気は休まるが、葛藤は残る。

    下校する長女ヤーナさん(左)に付き添う母アリーナさん。次女を連れて迎えに行くのが日課だ=2024年1月、大阪市(共同)
    下校する長女ヤーナさん(左)に付き添う母アリーナさん。次女を連れて迎えに行くのが日課だ=2024年1月、大阪市(共同)

    長女は何度も「いつ帰るの?」と涙ながらに訴えた。返す言葉がなく、一緒に泣いた。夫が残る故郷は、今も空襲警報が毎日のように鳴る。もう帰国時期を娘に伝えるのはやめた。これ以上、がっかりさせたくない。

    「今はどんなにつらくても、前に進まないといけない」。アリーナさんは、自分に言い聞かせるように決意を語った。

     

    「友達はここにはいない」

     

     鉛色の空から時折、市営住宅の一室に日が差し込む。学校から戻った長女ヤーナ・ウェルモシュコさん(12)は薄暗い部屋の片隅に閉じこもり、スマートフォン片手にゲームに興じていた。「ここではどこにも行けない。友達はここにはいないから」。無表情にそう語り、ベッドに寝転んだ。

    学校から帰宅し、スマートフォンでゲームをする長女ヤーナさん=2024年1月、大阪市(共同)
    学校から帰宅し、スマートフォンでゲームをする長女ヤーナさん=2024年1月、大阪市(共同)

    春に編入した大阪の小学校を卒業するが、中学には進学しない。週1回の日本語補習を受けても、「クラスメートの冗談が分からないし、彼らも私の冗談が分からない」。思春期を迎えたヤーナさんにとって、言葉の壁は想像以上だった。一方、オンラインで受講してきたウクライナの学校は前年より授業や課題も増加。より集中して取り組んでいこうと、親子で話し合って決断した。

    ウクライナとオンラインでつなぎ、在宅で音楽の授業を受ける長女ヤーナさん=2024年1月、大阪市(共同)
    ウクライナとオンラインでつなぎ、在宅で音楽の授業を受ける長女ヤーナさん=2024年1月、大阪市(共同)

     ロシア侵攻後に現地の学校は閉鎖され、友人の多くは故郷を離れた。唯一残った親友とは頻繁に電話で近況を伝え合い、ふざけ合った思い出話にしばらく浸る。望郷の念は募るばかりだ。
     避難当初は「3カ月くらいで帰る」と信じていた。でも、開戦から2年となる今も帰還のめどは立っていない。「日本に来て、そんなに早く戻れないと気づいた。(母に)もう1年ここにいると言われた」とため息を吐く。
     「戦争によって、私は遠い異国で立ち往生している。ただそれだけ」―。その目の奥に、静かな怒りがのぞいた。

    下校時、カメラに向かっておどける長女ヤーナさん=2024年1月、大阪市(共同)
    下校時、カメラに向かっておどける長女ヤーナさん=2024年1月、大阪市(共同)



    「戦争で全てが変わった」

     ホームセンターの仕事から帰宅しても、いつも迎えに来てくれた妻と娘はいない。家族写真や長女のランドセル、使うはずだった新生児のベッドは以前のまま残る。「戦争で何もかも変わった」。思い出の詰まった部屋で、ため息が漏れた。

    自宅の窓から外を眺める父ビクトルさん=2024年2月2日、ウクライナ・ザポロジエ市(共同)
    自宅の窓から外を眺める父ビクトルさん=2024年2月2日、ウクライナ・ザポロジエ市(共同)


     総動員令により、18~60歳の男性が原則出国できないウクライナ。家族を日本へ避難させた父ビクトル・ウェルモシュコさん(41)は、故郷・南部ザポロジエ市で2年近く独り暮らしを続ける。自宅は前線から近く、周辺にはロシア軍のミサイル攻撃で破壊され、黒く焼け焦げた建物が点在する。昼夜鳴り響く空襲警報が普通となり、恐怖心さえ鈍くなってきた。
     同級生2人は戦闘で犠牲に。今も戦地で祖国を守る知人もいる。ビクトルさん自身、いつ徴兵されてもおかしくない。
     家族との会話はビデオ通話が頼りだ。生後間もなく離別した次女は、いつしか「パパ」と呼ぶようになった。画面越しに見る娘の成長は少しばかり孤独感を和らげてくれる。それでも、葛藤を抱える長女や育児を一手に担う妻には寄り添えず、心の空洞は埋まらない。

    長女ヤーナさんが使っていたお気に入りのランドセルが、自宅の勉強机に置かれていた。侵攻前、日本に住む妻の姉からプレゼントされたものだ=2024年2月2日、ウクライナ・ザポロジエ市(共同)
    長女ヤーナさんが使っていたお気に入りのランドセルが、自宅の勉強机に置かれていた。侵攻前、日本に住む妻の姉からプレゼントされたものだ=2024年2月2日、ウクライナ・ザポロジエ市(共同)

     妻は時折涙ながらに「ウクライナに戻りたい」と、ビクトルさんにだけ本音を吐く。だが戦闘終結の見通しが立たない中、家族の安全は最優先事項。それがなければ自身も安心できない。
     「どんなに時を経ても、私たちはまた一緒に暮らします」。独り残った父親は一点を見つめ、言葉を絞り出した。

    日本に避難した家族とビデオ通話する父ビクトルさんのスマートフォン画面。(左から)次女ズラータちゃん、母アリーナさん、長女ヤーナさん=2024年2月2日、ウクライナ・ザポロジエ市(共同)
    日本に避難した家族とビデオ通話する父ビクトルさんのスマートフォン画面。(左から)次女ズラータちゃん、母アリーナさん、長女ヤーナさん=2024年2月2日、ウクライナ・ザポロジエ市(共同)

     


    【ルポ】「引き裂かれた家族」の動画はこちらからご覧になれます。 https://www.youtube.com/watch?v=E1erV7iyMAE

     
     
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